藝林文庫(12)

千葉の生んだ浮世絵 見返り美人の天才


浜 旦(はまあした)

 菱川師宣展が20年ぶりに千葉市で11月に開かれた。安房保田村の生んだ天才の話。

 寛永8年(1631)彼は縫箔師の家に生まれ、江戸で小咄挿絵画家をしていた。浅草に移ったばかりの新吉原の遊女をモデルとした。筆法訓練に連綿体かなを本格修行する。平安三蹟、寛永三蹟、藤原行成の関戸本古今集臨書と。

 京都に上り大和絵を土佐、狩野両派に学ぶが上流階級から庶民の絵に集中すべく帰郷。色を排し墨一色の絵版画に没頭。庶民に無縁だった枕絵も始める。中国の性典医心方房内で二十四勢、三十法等の秘技図に感動していた。枕絵は中国、王子ら向けの男女交媾図。春画とも言う。皇子は東宮に住む。東は春の事。

 延宝6年(1678)、48歳。いろは四十八字を自齢に掛けて四十八手を刊行。男女モデルを納得行くまでからませ女上位 を確立。茶臼等四十八態と名称を考案。凝視、実写に次ぐ実写に1年かけた。これが江戸全国に鳴り響く。狂歌、川柳、俳諧、草紙にと。其角、一蝶、南畝、式亭三馬らに天下一とうたわれる。

 西鶴に頼まれた好色一代男と好色物が大ヒットし西の西鶴、東の師宣の名を不動にする。着衣の表四十八手を超え裸体の裏48手、花のたはぶれ(リチャード・レイン命名)を続々刊行。菱川流が風靡する。多くの弟子を得るが、時代は元禄、華やかな色摺り全盛へと移って行く。

 師宣の拓いた庶民=浮世絵版画はヨーロッパ画壇を揺るがし、幾多ヨーロッパ近代画を現出させた。ここでも先達の役を果 たす。元禄7年(1694)逝く。生前梵鐘寄贈の保田・別願院に霊が眠る。

 

船橋市民新聞 2001年 1/1発行 第27号


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