随書作主(17)

珠光方寸庵

仁 恕

名残の季を迎えて(十月)

 中置に 暫らく月の  宿りかな (仁恕)

  ◎茶席では名残の気配となるのが神無月(十月)である。久しく忘れていた火への愛着が甦える季に入った。「火」を慕う客の心、「火」をより近くにとする主人の心遣い(賓主互換)が、水指の位置が壁付きに移り、風炉の火が客に近づき、道具畳の中心に水指を据える中置きという点前が考案された。夏は水指が客に近づき涼風を演出していた風炉の座から客の方へ火が移動したことになる。実際に暖をとるのではないが、その思い遣りの気持ちを客として汲み取る事が心得であろう。季節の移ろいを鋭敏とする一つの目先への変化である。やがて来る霜月(11月)からは一層火を客に近付ける『炉』の構えへの前段である。 ◎風炉の位置が畳の中心に来るので水指の座が狭まる。水を遠ざけ火を近づけ、水指は風炉の勝手付の方を選ぶことになり、常に据える水指では窮屈なので運びを作法とする。しかもその座が狭いので水指は今月に限り胴廻りの細い、細水指が用いられる。あの名高い仁清や高取釉、萩釉などは多くの細水指を製作している。特に長耳、管耳、笹耳などで働きをもたせていることに注目して欲しい。

 風炉釜の肩まで菊の雫かな (浪化) ◎大気は水のように澄み、風は柔らかく、野辺に千草が咲き乱れ秋日差しの覗き入る席中に中置の風炉に秋の訪れを実感する。茶人として釜を掛けるに、この月ほどの好機はない。それだけ秋の景物は余りにも豊富である。虫に寄せ、砧を通わせ、稔りの秋を祝い萩に露にと取合わせの選択に心浮き立つ茶人は枚挙にいとまがない。  名残の茶事はややもすれば茶趣に溺れて、客の不快感を呼んだり興醒めの席も多い。景物の多い時こそ簡素な美に心したいものである。

残る葉も 残らず散れや 梅もどき(凡兆)

 水屋に不似合いな 水道の蛇口 (水は命なり)

◎名高い茶室の水屋を拝見すると蛇口がない。水道がないのは当時は上水道がなかった故に当り前。別の視点から観察すると水遣口という水桶を出し入れする小さな扉がついている。昔はここから井戸で汲み上げた水を水屋の中に取り入れた″なごり″である。現代は蛇口をひねるといつまでも水が出てくる。便利に気付かず水の有難さを現代人は忘れている。水壷に水瓶にまだ清水が残っていても稽古や茶事が終わると全部水を流してしまう。

 こんな様相は水を最も命とする茶人として最も恥ずべき事として心したい。茶人たる者、例え一度使用した水でも他に何か使い道はないか思案したものである。要は現代人は徒らに水を無駄遣いしている。いくら無限の水道とは云え都会では良質の水に出会えない。昔は自然のまま土の中で長い時間をかけて自然浄化した水が、今では過剰な需要で追いつかず、自然浄化の次官がない為に薬や機械にたよっている。そんな水はおいしいとは云えない。水を得る為に苦労しなくなったのだから、水を飲むことに苦労しているのが現代人の実相だ。先達茶人は水に対して敬い厳しい態度で接し、水を心から愛し大切にしていた。日々のくらしの中で学ぶべき基本姿勢である。

茶室数寄屋建築監修者 商工会議所建設業部会長 小西 宗仁

船橋市民新聞 10/1発行 第24号


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